金属光沢の迷宮~ムラサキシジミ属(その3) / Metallic-colored Labyrinth ~ Genus Arhopala and its allies (Part 3) [世界の蝶 / Butterflies World]
金属光沢の迷宮にようこそ。3回目の今回はちょっと趣向を変えて、ある古びた1つの標本を見つめてみたい。
▲Arhopala acron acron (Halmahera) [進化生物学研究所所蔵]
掲載したのはアクロンムラサキシジミ(Arhopala acron acron)の♂で、D'Abrera (1990)"Butterflies of Australian Region"によれば、このタイプ名義亜種はインドネシアのバチャン島とハルマヘラ島から知られているようだ。この古びた1頭のシジミチョウは、現在、当会が事務局を置いている進化生物学研究所に所蔵されている。
触角も頭部も失われ、すっかり展翅も狂ってしまっているこの標本には以下のラベルが付されている。
▲上記の標本のラベル
粗末なノートの切れ端に、ペンで書かれた文字は「No.454」と採集年月日の「S.21.2.24」はどうにか判読できるが、漢字の部分は「T地区」という場所を表わすのか、あるいは「下地己」という人名を意味するのかは分からない。
今ではその名前を聞いても、すぐに場所がピンと来る人は多くないだろう。ハルマヘラ島はインドネシアのセレベス(スラウェシ)島の東にある島だ。
▲ハルマヘラ島位置図(Wikipediaより)
この島には太平洋戦争中、日本軍が駐屯して飛行場を建設するなど作戦上の要衝だった。隣のモロタイ島では連合軍との間で激しい戦闘が行われたが、ハルマヘラ島ではそのような戦闘は無かったという。昭和20年8月の終戦後も多くの日本兵が残り、自給自足しながら祖国に帰れる日を待ちわびていた。復員船がハルマヘラ島に入ったのは昭和21年5月のことだった。
この標本はそんな日本兵の一人が採集して、持ち帰ったものに違いない。マラリアで仲間がどんどん死んでいったという過酷な自給自足の生活の中でも、ジャングルを舞う金属光沢の宝石に目を奪われた日本人が確かにいた。名前もわからぬこのチョウを、その人は大切に祖国・日本まで届けてくれた。そのお蔭で、平和な時代に生まれた私たちは自由にこのチョウを調べることができるのだ。
世界が平和でなければ蝶の研究などできない。1匹の古びた標本は、その事実を改めて教えてくれる。
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(つづく)
▲Arhopala acron acron (Halmahera) [進化生物学研究所所蔵]
掲載したのはアクロンムラサキシジミ(Arhopala acron acron)の♂で、D'Abrera (1990)"Butterflies of Australian Region"によれば、このタイプ名義亜種はインドネシアのバチャン島とハルマヘラ島から知られているようだ。この古びた1頭のシジミチョウは、現在、当会が事務局を置いている進化生物学研究所に所蔵されている。
触角も頭部も失われ、すっかり展翅も狂ってしまっているこの標本には以下のラベルが付されている。
▲上記の標本のラベル
粗末なノートの切れ端に、ペンで書かれた文字は「No.454」と採集年月日の「S.21.2.24」はどうにか判読できるが、漢字の部分は「T地区」という場所を表わすのか、あるいは「下地己」という人名を意味するのかは分からない。
今ではその名前を聞いても、すぐに場所がピンと来る人は多くないだろう。ハルマヘラ島はインドネシアのセレベス(スラウェシ)島の東にある島だ。
▲ハルマヘラ島位置図(Wikipediaより)
この島には太平洋戦争中、日本軍が駐屯して飛行場を建設するなど作戦上の要衝だった。隣のモロタイ島では連合軍との間で激しい戦闘が行われたが、ハルマヘラ島ではそのような戦闘は無かったという。昭和20年8月の終戦後も多くの日本兵が残り、自給自足しながら祖国に帰れる日を待ちわびていた。復員船がハルマヘラ島に入ったのは昭和21年5月のことだった。
この標本はそんな日本兵の一人が採集して、持ち帰ったものに違いない。マラリアで仲間がどんどん死んでいったという過酷な自給自足の生活の中でも、ジャングルを舞う金属光沢の宝石に目を奪われた日本人が確かにいた。名前もわからぬこのチョウを、その人は大切に祖国・日本まで届けてくれた。そのお蔭で、平和な時代に生まれた私たちは自由にこのチョウを調べることができるのだ。
世界が平和でなければ蝶の研究などできない。1匹の古びた標本は、その事実を改めて教えてくれる。
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(つづく)
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