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絶滅した和歌山・龍門山のギフチョウ [日本の蝶 / Butterflies JAPAN]

絶滅した和歌山・龍門山のギフチョウ

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▲龍門山登山口

春なので、やはりギフチョウの話題を紹介したくなるのがブログ編集子の日本人蝶愛好家たる所以である。かつて絶滅した東京都のギフチョウを紹介したことがあったが、東京都のギフチョウを「東の横綱」とするなら、「西の横綱」として名を挙げて誰もが異論の無いのが和歌山・龍門山のギフチョウだろう。龍門山のギフチョウも、もともと生息していた個体群は絶滅してから30年以上が経った。現在、この山塊で見られるものは大和葛城山で得られた個体群を飼育して、放蝶したものが定着したという見方が強い。(的場, 2003)

龍門山は大河・紀ノ川の南岸に位置し、和歌山県では唯一の生息地であると同時に、近隣産地から飛び離れた分布地として注目されてきた。この地にギフチョウが産することが広く知られるようになったのは戦後間もない頃のようだ。1948年に地元の中学生グループが山頂付近で多数を得て、このニュースを受けて大阪など県外からも多くの同好者が訪れるようになり、春の龍門山はギフチョウを求める人で賑わったという。(後藤, 1996) 

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▲かつて多くのギフチョウが集まったという龍門山山頂

同地は孤立した産地ながら個体数は多かったようで、山頂付近には集中的に飛来する様子が見られたという。このギフチョウの多産地が大きく変貌を遂げたのは1970年代後半になってからのことである。後藤(1996)は減少の原因として山麓で拡大した果樹園の農薬散布とゴルフ場の建設を挙げている。

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▲龍門山産のギフチョウ♂(1983年4月採集:進化生物学研究所所蔵)

上に図示したのは1983年に採集された個体である。龍門山におけるギフチョウの記録は1985年や1986年あたりが最後と考えられているので、この個体は絶滅直前に採集された貴重な資料と言える。

龍門山では、1990年代から地元の自然保護団体などが奈良のギフチョウを放蝶する取り組みを行ったようで、その個体群が定着し、現在ではギフチョウの姿が見られるが、それはもともと生息していた個体群では無い。ちょうど果樹園の農薬なども以前に比べて低濃度の毒性のものが使われるようになったため、ギフチョウが生息できる環境が戻ってきたと指摘する人もいる。

長い年月をかけて孤立して生息するようになった個体群も絶滅するときはほんの一瞬とも言える。現在、日本ではギフチョウも含むさまざまな蝶で多くの地域個体群が危機に瀕しているが、龍門山の悲劇を繰り返さないためには、感情論ではなく、科学的な検証に基づいた減少要因の冷静な分析と的確な対策が求められると思う。

【参考文献】
後藤伸. 1996. 蝶類雑記16 龍門山のギフチョウについて. KINOKUNI 49: 1-5.
的場績. 2003. 龍門山のギフチョウについて. KINOKUNI 63: 9.
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