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蝶聖・林慶氏のウラジロミドリシジミ [日本の蝶 / Butterflies JAPAN]

蝶聖・林慶氏のウラジロミドリシジミ

林慶氏のウラジロミドリ標本.jpg
▲林慶氏のウラジロミドリシジミ飼育標本


 先日の総会・大会のご報告を先にブログに掲載すべきであるが、大変興味深い標本を入手したので投稿しておきたい。まずは上の標本を見ていただきたい。まぁ本ブログを良くご覧いただく方ならば、何の変哲もないウラジロミドリシジミ(Favonius saphirinus)の♂であろうと思うはずである。やや小型であること、無頭針が使われていること以外にはさしたる特徴は見当たらない。
 しかし、この標本には以下のラベルが付されている。

ウラジロミドリのラベル.jpg
▲上記のウラジロミドリシジミに付されたラベル

 ラベルがローマ字でタイプされたこの標本は、故・林慶氏(1914-1962)のコレクションに由来するものなのだ。林慶氏と言ってもピンとくる方はもう還暦をとうに過ぎ、古稀を過ぎたくらいのベテラン蝶愛好家だけであろう。当会は学会賞として氏にちなんだ「林賞」を設け、図鑑や論文等で蝶類学に大きく貢献した方を表彰している。林慶氏は、戦後日本蝶界史に燦然と輝く巨星である。昨今よく耳にする言葉で言えば「レジェンド」そのものである。  林 慶 (1914-1962).jpg
▲林 慶氏(『白水隆アルバム』より)

 林氏は1914年生まれ、東京帝国大学農学部を卒業後、民間企業に勤めたものの病を得て退職、後半生を蝶の研究に捧げた。敗戦の傷も癒えない1948年(昭和23年)にはゼフィルスの越冬卵採集と飼育技術を確立した。我々が今日、厳冬期の林でゼフィルスの卵の採集や観察を楽しめるのも、氏の粘り強い努力に因るところが大きい。1951年に「日本蝶類解説」、1959年には「日本幼虫図鑑」(蝶の部を担当)を手がけ、戦後の日本蝶類研究を指導した。  病のため惜しくも48歳の若さで亡くなられてしまったが、その天才を惜しむ声は今なお大きい。当時としては最大級の2万点を超すコレクションは弟子たちの手で整理され、国立科学博物館に収められた。
 今回入手した標本は、恐らく整理にあたった弟子たちが「形見分け」の形で譲り受けたものではないかと推察される。林氏がこのウラジロミドリシジミを飼育していた1951年(昭和26年)といえば、日本が敗戦から立ち上がろうと必死にもがいていた時代である。現在のように通信手段も発達していなかった時代、北海道から卵を送るのも大変だったことは想像に難くない。蝶に寄せる先人たちの熱い思いが、この1頭のシジミチョウの標本から立ち上ってくるような気がする。
 今回、同時に林氏が使用していたという展翅版(下図)も入手することができた。飴色に変色し、いくつも留め針の穴の開いた板を眺めると、林氏の息遣いすら聴こえてくるような思いに囚われる。
林慶氏の展翅版1.jpg
▲林慶氏の展翅版

 こうした文化財とも言える標本が後世に残って欲しいものだとつくづく思う。残念ながら日本の現状を鑑みるに、自然史資料の重要性が広く認識されているとは言い難い状況にある。高齢化が進む蝶界でも、在野の研究者、アマチュアの愛好家の貴重な資料は散逸する一方なのが哀しい。

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